2016年 08月 21日
2016/08/21 ワンコも水分補給が大切でつ!
2016年 08月 13日
2016/08/13 お兄ちゃんとのドライブは??

これって交通違反ではないでつか?
知らなかったわぁ~
ペペを連れて出る時は こんな運転 の仕方をしてたの??
怖い!怖い!!

ママァ~怖いでつかぁーーー?
わたち、意外と気持ち良くて落ち着きまつよ

それにお兄ちゃんは、痒いところに手が届く人でつから。
ぺぺちゃん、ドライブってのは窓からの景色を楽しむ事よ
それじゃぁドライブの意味ないわ!

えっ!? ドライブの意味ないでつか?
それでは。。。。

と、突然気が変わったように
助手席の大つきなお姉ちゃんのおひざに飛び移って
やっと景色を見る気になったのかしら、、、、

と、思いきや、、、、
前よりさらに気持ちよさそうに
グッスリと寝入ってるぺぺです(笑)
2016年 08月 07日
2016/08/08 軍艦島は上陸するとしないとでこんなに違う
中華街などそれなりに長崎らしい町並みをそぞろ歩いたものの、
今回の旅行で一番の目玉は何とと言っても軍艦島への上陸である。
二年前一度軍艦島クルーズ船に乗ったのだが、あいにくの悪天候で上陸は果たせなかった。
(その時の事は二年前のブログ2014/09/14 長崎[軍艦島]ほか思い出に彩られた夏でアップさせてもらったので島の歴史などは今回スキップする事に)
その時ガイドさんから 「お客さん、端島(軍艦島の正式名)へ上陸できる確率は30パーセントですから。。。難しいですよ!」と言われた。
今回その時の無念を晴らしたいと思ったものの「長崎は今日も雨だったぁ~~♪」前川清の演歌どおり
福岡出発してから間もなく降り始めた雨はどんどんひどくなって、、、、、
取りあえず、上陸保障なしの乗船チケットを手に、軍艦島クルーズ船に乗り込んだ。

暗くどんよりとした空に鉛色の海。
雨足は衰える様子もなく、船も結構揺れる。
「あーーーーあっ! 今回も上陸はダメかぁ~~30パーセントだもんね!三回以上来て一回上陸可能の割合だから、二回目で上陸できるなんて、甘いかなぁ~?
ましてや今回のメンバー、ほとんどが初めての者ばかりだもんね!まっ!初乗船で早々に上陸できるはずもなかろうし、、、」
と すっかり諦めていたころ、、、あの軍艦島の異様な姿が視野に入り始めたころ

小降りになった雨がいつの間にか止み、空が明るくなり始めたではないか、、、、
そして 船長のアナウンスが。。。「間もなく下船いたします。皆さまご準備ください」と。
「わぁーーー!!」と船内に突然沸き起こった歓喜の声。
諦めていた上陸が出来る♪♪ みんな喜びに満ち溢れ、
見知らぬ者同士が「よかったですねーーーわれわれ運がいいというか、皆行いがいいんですよね!」と
つい 口も足も軽くなる♪♪♪
上陸して初めて目にする端島の過去の町は、一昨年島の周りを旋回しながら想像したものをはるかに超えていた。


想像と現実の姿の違い、それを知っただけでも今回の上陸の意義は大きい!!
荒涼と荒れ果てた島の姿は、ガイドさんの声に対して まるで説明映像のように映る
そのライブ映像を目の当たりにして、説明を聞いていると、いつの間にか、、、私の思いは、
はるか昔の炭鉱の町の中へと入って行く
足を踏み入れられる箇所は限られ、滞在時間にも制限がある
時間内にとにかく出来る限りの写真を撮り、後ろ髪を引かれるように、私は帰りの船の最後の乗客となった


人の老いにも「美しく老いる」という言葉があるように、
ここ端島は ボロボロになった醜くい廃墟の島でありながら 未だなお、生きている?!
そして・・・・
そこは美しい廃墟!絵になる廃墟!!
今にも崩れ落ちそうなビルの谷間から 当時暮していた人々の生活の息遣いや嬌声までが こだまとなって聞こえてくる。
昨年ついに世界遺産に登録された軍艦島と呼ばれるこの端島、私なりに登録を納得した。
さいご福岡に帰っての開口一番 「聞いて!!私やっぱり晴れ女だったよーー」
端島での写真で分かるように、私達の上陸中は雨傘を日傘に替えるほどの日差しでした。
でも本当の晴れ女なら、二年前訪ねた時も晴れたはずですよね~~~(笑)
2016年 08月 04日
2016/07/30 母の95歳のお誕生日

会うとすぐ「お母さん、綺麗になろうね!」と薄化粧をしてあげて、まずは娘の私とツーショット☆★
私と撮った写真はどれもこれも嬉しそうな顔をしてるから、それを見ては嬉しくなる私なのです

母は若い頃から ひ弱な体質で記憶の中の母は いつも何かしら数種類の薬を持ち歩いていました。
私が小学生の頃は腸閉塞で一命を取り留めるほどの大手術をし
以来腸の長さは普通の人より30センチ短くなったと嘆いていました
そのせいかどうか、後年は大腸にしょっちゅうポリープが出来、その都度ガンでは?と心配したものです
体もきゃしゃで太り切れず40キロになると手を叩いて喜んだものですが
95歳の今が人生で一番太っているから不思議ですよね。
こんな母ですから正直95歳まで生きてくれるなんて 回りの者は誰も思っていませんでした。
でも後五年で一世紀という長い長い歳月を生きぬいてくれたことになるのですね!!
お母さん、長生きしてくれて本当にありがとう!!
今年のお誕生日は今までとは違い家族が一人増えて、四人で広島の母を訪ねることが出来ました。
会食は思い出の場所がよかろうと、施設に入居する直前まで母が一人でも行っていた行きつけのお料理屋さんを選びました。

なんと母はお店の名前も そこに長くいるお姐さんの顔も覚えていましたよ!
そして息子の顔を見るたびに壊れたレコードのように「いつ結婚するの?」[相手はいるの?」と しつこく聞いていたのですが
さすがに今日はその質問はなく解放された息子もホッとした様子でしたね((笑))
なんてったって、こんな可愛いお嫁さんが来てくれて、おばあちゃんと一緒に歌を歌ってくれて、、、、
彼女と顔を合わせては何度も何度も嬉しそうにニッコリ笑っていた母の笑顔

それは母の思い出シーンの中の忘れられない一ページになりました。
来年のお誕生日もこうして、皆で祝ってあげたい
お母さん、次の目標は100歳だよ! 頑張ってね!!